粋とKAWAII混ざり合うこの街で

キラキラに埋もれて死にたい

かけもちって何だろう①NEWSの話と、私がかけもちになるまでの話

私は所謂かけもちのオタクだ。

Jr.担には珍しい(疎まれがちな)ユニット担なうえにデビュー組とのかけもち。

 

子供の頃は芸能人に興味が無かった。

小学生の頃、周りの友達はモーニング娘。でだれが好きだとか

光一くんは王子様だとか芸能人の話によく花を咲かせていた。

 

当時からひねくれていた私は「アイドルなんて顔だけじゃないか」といった典型的なアンチジャニーズだった。

新喜劇やお笑いの方が好きだった。

 

 

いつから彼の存在を知っていたのかは覚えていない。

NEWSの「チェリッシュ」のCMにひとりで密かに心を躍らせていた。

テゴマスのデビュー曲「ミソスープ」に「まじか」と驚いた。

こっそり「ガチバカ」を録画して家族がいない間にひとりで観ていた。

「笑える恋なんてしたくない」では芸人を理由に堂々と観た。

そうやってジワジワといつの間にか私は増田貴久の虜になっていった。

 

家族にも友達にも内緒にしていたこと、当時中学生でお金が無かったこと、

ジャニーズがどんなものなのか一切知らなかったことなどから

「コンサート」「FC入会」などの発想は全くなかった。情弱だった。

当然グループやメンバーにもこれといった興味は無く、

ただただネットで集めたNEWSの動画や楽曲をこっそり聴いて

増田くんの画像を集め続けた。

こうして私はヌルッとジャニーズの世界に足を突っ込んだ。

 

増田くんへの思いが消えることはなく時は過ぎ、高校を卒業した。

やっと私は「増田くんが好き」と家族や友人に告白した。

はじめてジャニーズのFCに入会した。

 

だが、私がもじもじしていた数年の間にあまりに残酷な世界が回っていた。

増田くんを好きになって約5年、

私がはじめて行ったコンサートは「テゴマスのまほう」だった。

そう、私は自分がもじもじしていたせいで9~6人のNEWSに会ったことがない。

コンサートに申し込んだときは、この次はNEWSのコンサートかな?くらいに軽い気持ちでいた。

 

2011年10月。

メンバーの山下智久錦戸亮がNEWSを脱退した。

ここまで書いてきたように、当時は増田くんにしか興味がなかったので

正直そこまでのショックは無かった。あくまでも当時は。

 

呑気にコンサートに行き、楽しんだ。

長らく恋い焦がれた、人生で初めて好きになった他人が目の前にいる。

ジャニーズってすごい。

二人で歌うNEWSの「さくらガール」が素敵で美しくも重く苦しかった。

 

 

その後は実質の活動休止だ。

翌年2012年に4人のNEWSが誕生した。

グループを失いかけて私はようやく「NEWS」に興味を持った。

3人のことを好きになるのに時間はかからなかった。

 

その後ベストアルバムが発売され、4人での初シングル「チャンカパーナ」が発売された。

スペシャルボックスにはイベントの応募券がついていた。

母と応募して、見事当選した。

これは私の運が特別良いわけではなく、NEWS4人の優しさと誠意の結果だった。

ファンに直接ありがとうが言いたいから、応募者数を見て

スタッフさんに無理やり頼んで自らの休憩時間を減らしてまで

朝早くから夜遅くまで、大人の事情の許す限り公演数を増やして当選者を増やしてくれた。

会えるだけでも嬉しかった。

彼らの誠意によって、ジャニーズでありスタッフに止められたにも拘わらず

彼らとファンの間に何の仕切りも無くサプライズで握手でのお見送りがあった。

 

増田くん、シゲ、小山くん、手越の順だった。

突然のことで前に進めず泣き崩れるファンがたくさんいたのを覚えている。

 

増田くんに目を合わせて「大好きです」と言った。10代の私にはあれが精一杯だった。

増田くんはしっかりと私の目を見て手を握って優しく微笑んで「ありがとう」と言った。

なぜか私は一滴の涙も出なかったが、その後数日間は食事が喉を通らなかった。

 

 

4人で初のコンサート、10周年の記念ライブ、1年間のなぞの空白。

 

このなぞの空白が私を狂わせた。

コンサートの楽しさに味を占めた私は誘われるがままにコンサートに行った。

SexyZone、Kis-My-Ft2、嵐、関ジャニ∞のコンサートに行った。

今思えばなんてDDなんだろう。虫唾が走る。

その後は比較的安定して4人の活動が続いた。

 

だが私はその後紆余曲折ありSexyZoneとキスマイにハマった。

 

 

 

2016年。「QUARTETTO」

私はこの公演ではじめて遠征をした。

静岡エコパアリーナだ。

当時はまだ紙チケットだったので事前に席が分かった。アリーナ席だった。

ドキドキして迎えた当日、席に向かうとセンステ近くの花道最前だった。

私たちの隣には積んだであろう増田担の4人組がいた。

私は増田くんが見られたらそれで満足だった。

とはいえ、せっかくアリーナ席ということはわかっていたので張り切ってうちわを作った。

「増田くん見て」というなんとも謙虚で意味の分からないうちわだ。

いざ増田くんが目の前に登場して、泣いた。

こんな変なうちわ見せられないし、何かを要求するなんてできない!

そう思ってそっとうちわを伏せて椅子に置いた。

ペンライトとハートのシールを貼った公式うちわを握りしめて

見事なまでに震える地蔵と化した。

増田くんはそんな私を見つけ、何の迷いもなくまっすぐに私の元に来てくれた。

あまりの衝撃に残念ながらそこから私の記憶は無い。鶏脳な自分を恨む。

 

その年は24時間テレビのパーソナリティーにも選ばれ、充実した年になった。

 

 

個人的にこの年は転機となった。

SexyZoneの菊池風磨に本格的にハマったのだ。

「Welcome to SexyZone」のチケットを2公演分譲ってもらった。

1公演目は1枚での譲りで、一人で行った。

隣は同じく一人で来ている北斗担のお姉さんだった。

正直、この日まで私はjr.担に全く良いイメージが無かったのだが

彼女が本当に優しくて、jr.担のイメージが変わった。

 

実を言うと「ほくじぇ期」少し前に北斗くんとジェシーの存在を知っていた。

少し気になる存在だった。顔が好きだった。

それでも当時は自分の中で「かけもちはダメ」といったポリシーがあったし

Jr.にまで手を出したら終わりだと思っていた。

例えるなら、恋にまで発展しなかったが気になる甘い存在だった彼。

 

彼がバックについていると知り「ラッキー!生で見られる!」くらいの気持ちだった。

隣の素敵な北斗担のお姉さんの存在も手伝って、

風磨くんの次くらいに意識的に北斗くんのことを見ていた。

 

その年の夏、「Summer Paradise 2016」が開催され、

私は風磨くんのソロコン「風 are you ?」に行った。

バックに北斗くん、慎太郎、樹がいた。

風磨くんのつくる世界観はすごくて、本当に驚くほど楽しかった。

風磨くんがNEWSの「恋を知らない君へ」を歌った。

感動したし嬉しかったし隣の女の子は泣いていた。

ずっとNEWSしか知らなかった私は「新しい世界」に浮かれていた。

すごく楽しくて特別な夏だった。

その夏を大好きなNEWSと、今夢中になっている風磨くんによって

走馬灯のように思い起こされて感傷にひたっていた。

 

そこで事件が起きた。

聞き覚えのあるイントロが流れた。

NEWSの「内容の無い手紙」だった。衝撃的だった。

本家でももう歌わないであろう昔の曲。

思わず食い入るようにステージに目を向けるとそこには白スーツの王子様がいた。

松村北斗だ。

私はその一瞬で不覚にも完全に堕ちた。

失礼で最低だと自覚しつつも、彼に堕ちたと同時にそれまで夢中だった

風磨くんとキスマイの当時の担当への興味が急激に薄れた。

悩む間もなく気づいた頃には完全に降りていた。

 

 

翌年「NEVER LAND」

ツアー前にある事件があった。

書き残したくないので一切詳細は触れないが、当時は失望した。

過去の曲やカップリングを歌わなくなった彼らや

27歳を過ぎて少しずつ大人になっていく増田くんについていけなかったのもある。

北斗くんに堕ちて忙しかったこともある。

私はあの幸せだった「QUARTETTO」で降りるのが正解だったんだ。

今のNEWSにいる増田くんを見たくない、応援できない。

彼らの進みたい道がわからない。ついていけないならもう降りよう。

悩みながら行った大阪城ホールの公演は楽しめなかった。

増田くんはかっこよかったし、近くに来ると震えた。

それでもコンサートを楽しめなかったことがショックだった。

悩みに悩んで、号泣しながら卒業ブログを書いた。(削除済)

 

卒業式のつもりで、東京ドームのオーラス公演に入った。

立っているのもままならないくらいに泣いた。

URを楽しく合唱する周りのオタクに白い目で見られるくらい泣いた。

終演後、バカみたいにグッズを買った。

きっと私は一生4人が好きなんだと強く思った。

 

 

2018年、苦しかったけどそれ以上に幸せだった。

NEWSが結成15周年ということで、今までで一番忙しかった。

「EPCOTIA」はすごくすごく楽しかった。

ところがツアー終了後6月、小山くんが謹慎になった。

仕事が終わって会社を出て謹慎を知ったとき、腰が抜けた。

やっとの思いで近くのお手洗いに逃げ、1時間声を殺して泣いた。

どうやって帰宅したのか記憶にもない。

それからは毎日が地獄だった。

家に帰っても電気もつけず、情報も人の言葉もすべてが恐怖で

TVもSNSも私の生活からシャットダウンした。

町を歩くと聞こえる会話も怖くてイヤホン無しでは歩けなかった。

NEWSの曲は聴けなかった。

正直、他のグループが楽しそうに活躍しているところも見たくなかった。

何も見たくなかった。ごはんも食べる気にならなかった。

NEWSがいなくなるかもしれない世界を生きたくなかった。

「きっと大丈夫」と言い聞かせ、心を殺してロボットのように生きた。

 

6月18日、実家のある大阪で大地震が起きた。

この世は地獄だと思った。

胃がさけそうで気が狂いそうで、全てが恐怖だった。

 

6月27日、小山くんが復帰した。泣き崩れた。

NEWSは生きがいなんかじゃない。

私のライフラインだ、そう強く確信した。

 

その後、音楽番組でも4人の姿を観ることができて

当落が遅れ開催が不安だった15thライブも無事に開催され、

本当に本当にこれ以上にないくらいの幸せだった。

 

今でもNEWSは叩かれるし、それでも好きだと言うと

頭がおかしいかのように言われる。正直生きづらい。

 

それでも、誰が何と言おうが私がこの10数年で

彼らからもらった幸せや愛は紛れもなく本物だ。

 

そう思うことでパッパラだと言われるなら、パッパラで上等だ。